2020年6月15日月曜日
心のエネルギーの置き方は?
唐突に「心のエネルギーの置き場所傾向」なんてふと思って書いてみました。生きていると毎日いろんな出来事がありますね…。
嬉しいこと、悲しいこと、怒ってしまうこと、不愉快なこと、不本意なこと、理不尽なこと…。ほんとにいろいろあります。
起きることにどう反応しどう考えそしてどう行動・口動するかが、その人のその人らしさを形成するのかな…なんて思ったり。
どういう反応がいいとか悪いとか何が正しいとかいうことではなくて、あらためてそんなことを感じる出来事が日々あって、その中で自分はどういう傾向があるのかを考える機会が増えたかなぁと。
例えば今日
仕事で10年以上も前に僕が採用し育成した人を責任者としてある職場を任せて数年になる。その人が今日怒りのエネルギーをぶつけてきた。
新たに採用しその職場へ配属した新人が辞める辞めないでその新人の悪いところにフォーカスしたメールを送ってきた。
数日前にその責任者と今回辞めるといっている新人それぞれ個別に言い分を聞いてきて、冷静に事実だけ受け止めると感情的になるほどでない事柄。
ひとつの職場を任せられる十分信用にあたいする人。少し劇場型で熱い人。それだけに頑張り屋さん。いろんな意味で彼らしいと感じた出来事・反応でした。
僕も不当だったり理不尽なことには怒ったりもする。ただずっとその怒りのエネルギーを心に置き続けることができないんです。
音楽も熱いロックなども時に聞くしファンキーなソウルも好きで歌ったこともあるし、こう見えて実はヒップホップなどで踊ることも好きだし実は得意だったりする。
でも圧倒的に穏やかな曲を聴くのが歌うのが好き。これはどうしようもなく僕らしいことであって変えることは簡単ではない。
好む好まないにかかわらず目の前にいろんな出来事があるし、自分からいろんな出来事に遭遇するように動くこともある。
楽しいこと嬉しいことは自然に喜べばいい。
ただ、そうでないことが起きたときまたそのような反応に出会ったときに、自分自身がどう捉え感じ反応するか…。
これは自分が自分らしいことであって、また精進していける事柄でもあるように歳を重ねてまた思う。
僕は歳のわりには落ち着きがないけれど穏やかな人間だと思っている。
特に穏やかでない出来事に遭遇したときは、今まで以上に深呼吸して優しい心に満たされるように生きていきたい。
怒りや不満のエネルギーから吐き出される言葉を受け止めるのは容易ではない。特に人材ビジネスの仕事をしてると少なくない場面。一方「不安」な心に寄りそうことは辛くはない。
いずれにしても繰り返しになるけれど、生きていればいろんなことに出会うし自分が思っていない方向にことが進むことがある。
そのとき、どう考えどう思いどう反応する人でいたいか。どうしても譲れない信条に反するときは人とぶつかりあうこともあるだろう。
事なかれ主義とはまったく違う意味で出来事に正面から向き合いながらときに苦しみながらも僕はとにかく穏やかでいたい。
心から心の底から仕事でもプライベートでも縁あるひとたちみんなの平和と健康を祈っていたい。
今夜も温かく優しい音楽に包まれてひとりの時間を過ごすんだろう。そしてそんな歌を届けられるように心がけ準備して練習するんだろう。
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