もってあと2・3ヶ月。との情報が入ったのが2日前のこと。そこから容態急変。昨日早朝4時過ぎ、音楽活動再開して最初に出会った友達が空へと旅立った。
◆ 昨日の出来事
朝5時前、親しくさせてもらっていたミュージック・バーのオーナーさんから第一報が入った。Kさん(以下故人をKさんとさせていただきます)に心を寄せ、中でもお見舞いにもよく行っていた様子の私の知る友達5人とメッセのグループスレッドを作って連絡共有。
遠方より息子さんが駆け付けて何とかギリ間に合い看取ったらしいことは知ったけど、あまりに急だったので、私の自宅から比較的近いこともあって、何はともあれ仕事を休むことを決め病院へ駆けつけた。
最初にとても小さくなったKさんをみて、また息子さんをみて(Kさん同様アーティストであり、その歌声は何とも素晴らしく何度かご一緒したことがあったので)、やはりこみ上げてくるものがあった・・・。
思っていた以上に落ち着いていた息子さんに挨拶をして、Kさんの顔をみるとそれはそれは穏やかで優しい亡き顔。
少し触れてみる。もちろん冷たい。でも、何とも優しい表情に何か救われた気がした。
それからの半日余りの時間は、息子さんの隣にいていろいろ話したり、とにかく息子さんは悲しんでいる暇もないくらい、病院・親族・市役所・ケースワーカー・葬儀社への連絡・対応が忙しいのを隣で微力ながらご一緒させていただいた。
その間も事務書類受け取りなど手伝いながら、その後主治医の先生からの経過説明・急変の状況などの診断・説明も息子さんと一緒にお話を聞くことができた。最後、呼吸困難に至った経緯などは想像するにさぞかし痛く辛かったろうにと思いながら。
続いて、当日お見舞い予定だったお友達2人も悲しい知らせを聞いて駆け付け、病室で会うことができたのは幸いだった。それから1時間ほどで午前中に息子さんが奮闘して段取りした葬儀社が到着。霊安所でお線香をあげ車が見えなくなるまで見送った。
◆ Kさんと出会って
人生半ばを過ぎての友達、出会って2年足らずの付き合い。親友といえるものではなかったかも知れないし、好みのジャンルが違ったりすごく仲良しといえるほどでもなかったけど、音楽を愛する思いやお茶目な人柄など、おバカばかりいいながらも、憎めない男でした。
オープンマイクで一緒することが多く、まだ活動再開当初の自信がなくよく凹んでた私を誉め励ましてくれ、何度も書きますが一緒のおバカな話をして和ませてくれた男でした。
病院の面会などでお男同士で二人で、何度も過去の悪さ話を武勇伝のようにお互い話しているとあっという間に時間が過ぎて笑顔が絶えなかった。
肺癌ステージ4と宣告され、私に知らせてくれたのが昨年10月頃。いや9月だったか。それから、事情を知って、恐縮と思いながらも私の音楽活動1周年記念配信ライブに友情出演依頼をしたところ、「ぜひ参加したい」と二つ返事。
結局当日は容態が優れず、それでもラジオ出演的に電話で参加・出演してくれて、皆に闘病生活や思いを語ってくれたことを今も忘れない。
後で聞いたけど、2017年の年を越せないかも知れない様子だったことを思うと、昨日までよく頑張ったとつくづく思う。SNSで自らカミングアウトして、多くに人たちに辛い状況を見せながらも、一方勇気や優しさも与えてくれたと思う。
◆ 愛しきチャラさ
彼の口癖でした。確かにチャラかった。でも、一方とてもまじめで子供のように純心な人でもあったKさん。ライブやオープンマイクでは本人がまじめなMCをすると、すぐに恥ずかしさを隠すように、「チャラくなくて俺らしくないな~」などとよくいっていた。
そんなKさんは都内や遠方から仲間も集まるような「震災チャリティライブ」を企画し、当時何もできなかった彼自身の自己満足でやっているといいながら恥ずかしさを隠していた。ただチャラいだけの男がそれだけのことができるだろうか。
人生半ばを過ぎて気ごころに知れる友達などできないと思っていた。決して大の仲良しとなったわけではなかったけど、住まいが近くオープンマイクの帰りは一緒にバスに揺られながら、おバカな話ができる友が亡くなったことは素直に悲しい。
数日中にもう一度お別れに行くけれど、Kさんのお茶目でおバカでチャラい表情や言葉はほんとうに彼らしく、らしいのが一番いいなぁと感じさせてくれる男を忘れない。
心よりご冥福を祈ります。安らかに眠られよ。合掌