たまに思い溢れて散文を書こうという気になります。「愛しのグランマ」~って、なんか曲のタイトルみたいになりましたね(^^; エッセイとしては普通だと思いますが、ブログにしてはちょっと文章量があるでしょうか。お時間があればお付き合いいただければと思います。
一般的に「おばあちゃん」は優しく穏やかなイメージがありますよね。中でも亡き私のおばあちゃんは自慢になりますけど、お茶目で愛溢れる抜群に素敵な女性でした。今でも思い出すだけで心が優しい気持ちでいっぱいになります。
私の子供の頃の話を少々。
我が家は特に決まった宗教を信仰するわけではなく、法事なども地方の仏式・和式のものでした。でも実家石川県に暮らす家族・親族の中で、ひとりだけ九州・鹿児島県種子島出身のおばあちゃんは、とても熱心なカトリック系のクリスチャンだったのです。
今でも思い出すのは教会で頭をベールで覆い、手を組みひざまずいて祈りを捧げる姿です。そして初孫の私は幼児洗礼を受け教会の隣のテレジア幼稚園へ通うことに。
![]() |
スマホタップで画像アップ |
そのおばあちゃんの夫、つまり私のおじいちゃんは人情派の立派な刑事でしたが、その息子たち(つまり私の父やその兄弟たち)は逆に立派な人といえる者ではなく、どちらかというと問題ばかりを起こす大人たちでした。
なので、おばあちゃんはいつも経済的にも彼らの尻拭いをしていた記憶があって…、当たり前かも知れないけれど、自分のことは後回しで息子たちや困っている人を助けることを優先していた人でした。
私の父はもう亡くなりましたが、お陰様で今のおかあさんや妹たちとはとても仲良くさせてもらって私はいま幸せです。ただ、子供の頃は父が離婚・再婚を数回繰り返していたので、穏やかな家庭ではありませんでした。
そんな中、自分はグレることはなかったけれど、たまに悪さをしたりして、父が怒って私に手をあげようとしたときも、おばあちゃんは盾になり「この子をぶつのなら、その前に私を殴りなさい」と父に言った場面は今も強烈に記憶に残っています。
さて、子供時代の話が長くなりましたけど、祖母の愛や考え方が歳を重ねた自分にも根付いていることも少しあるのかなと最近感じることも増えてきました。
◆ひとと自分への「許し」
例えば私は消費者として、商品に不具合があったり、また大事な場面でのサービスにプロとしての意識の低さを感じたときは、少し厳し目に対応することがあります。ましてや泣き寝入りすることはぜったいありません。
ただ、一方同じ感情(特に怒りなど)の位置に自分を置き続けることもありません。なぜなら自分もミスもするし、気づかずに人を不愉快にさせたり傷つけたりすることがあったと思うからです。
ネガティブな感情に心を置き続けることは何も生産的なことはないことをよく知っています。生きていると理不尽なことや自分の信条にあわないこと、また、納得できないことが少なからずありますから。
若いときは自分が正しいと思えば、条件反射的にディベートしたりしていた時期もあったと思いますが、今は相手の考え方や生き方、また環境を思い、たとえ納得できなくても、ひと呼吸おいて考え行動したり、人を許し・自分を許すことが以前に比べできるようになってきたように思います。(いうほど私は厳しい人間ではありませんが…(^^;)
その「ひと呼吸」おくとき、人はそれぞれいろんな方法やパターンがあるのではと最近感じるようになりました。私の場合は「大好きなおばあちゃんだったら、こんな場合なんて言うだろう・どう行動するだろうか」と考えています。
というのも、おばあちゃんの対応や行動・口動は一見おバカでお人よしに見えても、いつも最終的には愛に満ち溢れ、たくさんの人たちから感謝され愛されていたから。
さて、自分もあと数年で還暦を迎えますが、まだまだその域にはほど遠いと思っています。独り暮らしをしているせいもあってか、まず自分を守ってそのうえでできるかぎり誰かのために動ければという程度なのです。もっと精進しなくては…。
小学校入学式では母でなく 隣に祖母がいてくれて嬉しかった |
なにか共感を求めるものでもないし、価値観を押し付けるつもりも毛頭ありません。ただ、ただ、僕の人生の一番身近にいた一番素敵な女性のおばあちゃんを思い出したのです。
思春期の頃、事情と僕のわがままもあっておばあちゃんと二人暮らしの時代も数年あったのですが、おばあちゃんはお酒も少々呑んだし、ほろ酔いになるとよく亡くなったおじいちゃんとのラブストーリーを聞かせてくれました。
おばあちゃんは何度も同じ話をするのですが、優しくまたロマンティックにそっと語るその物語り・そしてその時間が僕はほんとうに大好きでした(^^
身の回りで辛いことや理不尽なことがあっても、その話を聞くととても心が穏やかになって優しい気持ちに包まれたものです。
お茶目で可愛いく、またどこか神々しいところもあったおばあちゃん。僕はそんなおばあちゃんが大好きだし、男であっても人間として彼女のような人にいつかなれたらと思っています。
人生の最終電車に乗るような頃には一歩でも近づきたいと…。
書きながら何だか懐かしさと温もりを思い出して涙が溢れてきてしまいました…。思いつくまま書いてみたし、こんなわたくしごとの長文に最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございました m(__)m
0 件のコメント:
コメントを投稿