◆今は笑い飛ばせる味のある男の話
(エッセイ・・・嫌いだった父・好きだった音楽と私)
音楽活動再開して間もなく父の命日を迎え、改めて向き合うことが増えてきました。本来ならHPやブログが適当だと思いますが(4/13現在)、まだ始めていませんので今回ここで少し父のことを書いてみたいと思います。亡くなった父は観光バス、トラック、タクシーと運転業を主な生業としていて、特に観光バス運転者だった頃は当時小学校低学年だった私をガイドの隣に乗せて、1ヶ月近くも学校を休ませ旅行気分で全国あちこちへ連れていってくれた想い出があります(バスガイドさんの膝に乗ったりスカートをめくってよく頭をたたかれましたー(^^;)
◆思春期、父がほんとに嫌いだった。
父は音楽好きでアコーディオンやエレクトーンを弾きながらよく演歌を歌っていた記憶があり、「流し」の真似事のようなこともしていたと聞いたように思います。歌っているときの父は好きだったけど、そのほかはほぼすべてといっていいほど嫌いだった。私にとっては離婚を3回もして母が4度も変わるといった半面教師であって、とにかく家にいたくなくて結果、勉強・音楽・スポーツに熱中し外に目を向けて生きてきて、グレなかったことが不思議なくらいだと我ながら思ったりもします。
◆不幸だと思っていた幼少期
自分の苦悩・悲しみをひけらかすつもりはありませんが、中には「今日からお前のお母さんだぞ」と父が連れてきた男子2人の連れ子がいる女性は、父が運転業で夕食時いないことが多かったためか、自分の子供たちと私の夕食のおかずを明らかに違うように差別したりなど、他にも書けないようなことが数知れず・・・。誰の人生も普通の人生なんてものはないと思いますが、なぜ自分が…、自分だけが…、他の友達のような子供とは違い過ぎてずいぶん辛く悲しいことや切ないことが多く胸を詰まらせ人知れず泣いた日々も少なくなかった幼少時代だったと思います。今思うとあんな父には絶対なるまいという反骨精神のエネルギーが何とか後の健全な精神を支えていたように思います。(とはいうものの自分も一度結婚生活失敗しましたけど・・・)
◆切なさを知ったサウンド
なぜか最初に買ったレコード、確か小学校5年か6年の頃にカーペンターズのyesterday once more や super star 、close to you を誰もいない一人きりの家で聴いて歌って、そのメロディがほんとに心に沁みて・・・、よく涙していた。そのせいか今も音楽を聴いたときに、リズムやグルーヴ、歌詞などいろんな要素の中で、やはりメロディが一番最初に響いてくるように思います。リンク⇒ Carpenters - Superstar
◆今気づく男の魅力、憎み切れない父
さて、父はフロントガラスから少ししか顔が出ないようなずんぐりむっくりのチビなくせに、景気のいい時にはムスタングなどのアメ車に乗り回すような見栄っ張りでした。でもそんなところがなんだかちょっとお茶目で、嫌いなのに憎めないとも感じていたんだろうと思います。腹が立つのがイケメンとはほど遠いのに、案外マメなところがあったようで女性にはモテたらしい。また男友達からも「しーさん」と慕われ、誰かれいつも我が家にやってきていた記憶があります。そして葬式では私が知らなかった男友達や音楽仲間などが「味のあるいい男だった」と口を揃えていう言葉を聞くと、悔しいけれど愛おしい気持ちでいっぱいになったことを忘れません。
◆「味のあるいい男」
自分とは生き方も考え方も価値観も何もかも違うと思って嫌っていた父。「味のあるいい男」なんともいい響き。自分も知らないうちに、ずっとずっと前から父に対してそんな気持ちがどこかにあって、良くも悪くもそれが今の私の人格形成や音楽では、音や声を形作っているのではと、人生半ばを過ぎ音楽活動再開して最近特に意識するよなりました。振り返れば自立心の育成などほかにもよかったこともたくさんあります。そのうち、ホームページやブログなども始めることになると思いますが、またいつかそんな思いに向き合い、自分の生きている・表現している証として残していこう。
◆気が付けば自分も人生半ばを過ぎて
大きな失敗したり、うまくやれなくて家族を失ったり、命がけの恋に破れたり、自暴自棄になったことも何度かあったけど、人生捨てたもんじゃない。まだ歌える声がある。跳べる身体がある。最初の母と父が出会う奇跡がなければ今の自分がいないはず。道ひとつまた時が一瞬ずれていたら、出会ってなかったかもしれない。まさに時を超えたミラクルだ。そんなことを想って深呼吸してみたら感謝の思いが溢れてきた。
◆最後に
私が12歳のときに4番目というか一番最後に私の母になってくれた当時確か19歳だったお母さん・そしてその母とほんとに悪い奴だけど憎みきれない父との間に生まれた3人の妹たちが大好きで愛おしい。何より嬉しいのは皆が存命中もまた今はもういない父を本当に愛してやまないこと。妹たちは揃って皆立派な女性・母となり実家のある石川県で根をはりしっかり母を支え暮らしてくれている。だから自分はいつまでも寅さんみたいに風来坊でいれるのだろうか…。でもそんなみんなと家族になれて本当に幸せだと思いながら、また普通に仕事しながらも再び歌人(うたびと)として動き始めた息子・兄を温かく見守り応援してくれていることに心から感謝したい。
うたびと・Shuken 2017.4.13
終戦記念日を迎えて再び
8/11「反戦歌 ライブ」当日はイベントの特性・主旨からお店(相模大野・カフェツムリさん)や共演者の了承・協力のもと、お客様のご理解もいただき全編ライブ動画配信致しました。再び録画(全3部構成)を公開しますので、改めて私たちの演奏を楽しんでいただければ、そしてまた反戦・平和への願いに心を寄せていただく機会となれば幸いです。 (第3部後半に3人のコラボ3曲、I shall be released では3声ハーモニーがちょっといい感じ♪)
◆ 第1部 Opening ~ シュウケン
◆ 第2部 マッキー (伴奏:大島ヘヴン)
◆ 第3部 大島ヘヴン ~ 全員コラボ
最後にお友達のBonさんこと画家の小高さんが当日の感想や平和への思いをご投稿いただきました。とても素晴らしい文章・内容ですので、ここにリンク先を掲載させていただきます。ぜひご一読いただければと思います。⇒ ライブの感想・平和の思い
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◆センシティブ
身の回りに起きる出来事はすべて意味があって必然。などとよく耳にする。あながちあたっているのかも知れない。昨夜から喉を壊してほぼ声がでない。
たぶん一週間ほどで回復するのかな。弱音を吐きたくないけど、体調も崩しているとこんなとき独り身は心細い。でも逆に自分の心と身体に向き合ういいチャンスなのかも。
ライブ続きで直前の反戦歌ライブの余韻なのか感傷的というよりは、心がより敏感になっているような気がする。
◆ヒーリング
もともと争いごとは苦手だし、身の回りや世界の平和を祈ることは自然なこと。8月の反戦歌ライブは本当に素敵な仲間と一緒にやれて、またライブ会場でも平和への意識が高いお客様・お友達と分かち合えてほんとうに素晴らしいひとときだった。
今度は少し内に意識を向けて自分自身の心の平和と癒し、そして安らぎの時間・ぬくもりを求めてもいいのでは。こんな風に思うのはやっぱり身体が弱ってるからかな…。
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◆パッション
小さな成功・失敗を繰り返し、また一瞬一瞬の選択も繰り返して今の自分がいる。そう、生活・音楽・家族・仕事・スポーツ・恋…、ときには周りや相手を深く想いやり、ときにはわがままに…。
人生半ば過ぎても理想の音・歌をイメージしながら音楽活動ができることは幸せなことかもしれない。「Glory Days」の歌詞の中の「胸を焦がして生きていたいだけさ、baby」の心境へテンションを持っていけるように、今は少し休もう。
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う~、歳を重ねると毎日目覚めが早い(^^;。改めて弾き語りを始めて半年余り、引き続きギター猛特訓が続く日々・・・。アーティスト限定ライブパーティだからこそと思って、昨夜は慣れた得意なナンバーではなく敢えて3曲全て人前で初めて演奏する曲にトライしました。My blogではまず私個人・昨夜のプレイから書かせていただきます~。
◆セットリスト(悪Shuken(^^の振りで2曲 )
(1)「甘く危険な香り」
言わずと知れた山下達郎のナンバー。悪顔(^^にて「危険な恋はお好きですか~」のMC振りからスロー→リズムカッティング。中途半端なミドルテンポのシンコペが難い・・・。
(2)「I WISH」
悪ガキの少年時代への回顧を歌ったスティービー・ワンダーのファンクをエレガット1本で。キメリフ・ランニングベース・リズムカッティングを組み合わせての伴奏。特にベースラインを弾きながら、歌のリズムがくいまくってるメロディーの出だしは自分にとってはハードルが高かったか、猛特訓も悔しい・・・。またのリベンジを誓い動画アップ。
(3)「ハナミズキ」
悪シュウケンは(2)まで(^^、最後は翌週の「反戦歌ライブ・8月に愛と平和を歌う」の告知を兼ねて、これもライブでは初披露。ピアノメインの原曲(一青窈)をギター伴奏のアレンジをして歌う難しさを改めて実感しました。
◆アーティスト限定ライブパーティ Vol.2
(相模大野・カフェツムリさん)
前回(初回)は私がホスト・進行させてもらいましたけど、今回はヤッポさんとポンさんが進行してくれました(ホッ)。顔見知りはヤッポさん・Aboちゃん・シンゴ君(^^♪、3人はいつものらしさと若さと才能溢れる素敵な演奏でした!またNew Comerの皆さんもそれぞれイカした個性的な演奏でとっても楽しませていただきました♪ 個人的には歳も近いユニット「nelcha」さんの「stay with me ・・・真夜中のドア」(松原みき)はど・ストライクで聴けて嬉しかったですね♪ ポンさん&ご一緒させていただいた皆さんありがとうございました。(オーナーのポンさんのユニット・「ハニー・スタイル」もよかったっす(^^!)そして、ピアニストの鍋ちゃんと出会えたこと♪
◆トライ&チャレンジ
人生半ば過ぎて始めた弾き語りスタイル。何度かあきらめて以前のように再び歌専門にとも思うことも少なくないけど、(もちろん今後ユニットやバンドでの活動もあると思いますが)ずっと弾き語りをやってきている人達には当たり前のことも、自分にとっては試練また試練。練習の成果は少々あった気もするけど、イメージする演奏にはまだまだほど遠い。でも、敢えてアーティスト限定ライブでチャレンジしたことは悪くなかったかな。うまくいかなくても折れずに諦めずに弾き語りスタイルも精進していこう!
夏休みの子供の作文みたいですけど、皆さんおばあちゃんは好きですか?僕は大好きです。
8/11(山の日)の反戦歌ライブ(8月に愛と平和を歌う)が近づき、共演者の紹介やテーマに沿ったの話題を少々。
◆クリスチャン
私は物心がつく前ほんの小さい頃に幼児洗礼を受けたらしく、フラシスコ・ザベリオというホーリーネーム(聖名)があるようです。といっても今も年に一度礼拝にいくかいかないかぐらいでクリチャンとは名ばかり。でも、亡くなったおばあちゃんを想うとき、それは教会でひざまづきベールをかぶった頭(こうべ)を垂れて静かに手を組み祈る姿。お茶目で優しい祖母。私は今では笑い飛ばせる親としてはいろいろ問題のあった父には背を向け、祖母の愛情に包まれて育ったように思います。
◆ファンキー・レィディ
敬虔に祈る姿の一方、お酒も飲むし麻雀やパチンコなどもやるファンキーな一面もあった種子島出身の祖母。当たり前かも知れないけれど、子供や孫が困れば自分のことは後回しにして、とにかく誰かのために生きた優しく可愛いおばあちゃん。もし同じ時代に生きていたらきっと恋に落ちていたかもと思うほど素敵な女性でした。
◆Love Story
そして、私はいろいろあって思春期に祖母と二人暮らしの時期も。おばあちゃん、酒が軽く入ると祖父とのラブストーリーをたまに話してくれて(^^、私は そんな話を聞くのがとても楽しみでした。先に亡くなった刑事だったおじぃちゃんをきっと よく支えていたのだと思います。
◆奇跡
結婚式の挨拶みたいですけど、もし祖母と祖父が出会っていなかったら、一瞬時がずれていたら、道一本はずれていたら・・・、父は存在していない。父と母も当然同様。自分が生まれたこと自体まったくの軌跡。そんな自分がいいおじさんになって愛の歌を奏でられることは、この時代の日本という比較的平和な国で生きているからかも知れません。世界中の戦争がなくなりますように・・・。
◆反戦歌ライブ〜8月に愛と平和を歌う〜
(8/11・山の日・17:45~)
(相模大野・カフェツムリ・ノーチャージ)
(詳細は下のリンクへ)
反戦歌ライブ・イベント