2018年12月2日日曜日

Blog Vol.38 ラスタンザ ⇒ インジャゴ(輝子さん♪)


無茶ぶり飛び入りにライブ後の輝子さんもカホン参加


南林間(ラスタンザ)⇒桜ヶ丘(インジャゴ)、これ駅にして3駅・7分(^^;これなら行けるかも!と思ったところからエロ・エモ・ヤバのはじまり🎵

🔶 ラスタンザ O.M.

まずは南林間・ラスタンザのオープンマイクへ約1年半ぶりに参加させていただきました。以前お店と自分をつないでくれた故人・こはさん(品川さん)の友達の女性が応援に観に来てくれるとのことで約束していたのでした♪




武蔵さんとも超久々だったし、こぎろおるのUZUさんもいて、久々ながらもなんかホッとした雰囲気の中、初めましての方々ともご一緒に約2時間O.M.の楽しいひとときを過ごさせていただき、ありがとうございました~🍀😊

🔶 そして、インジャゴへ。

お目当てはホンマ輝子さん。ライブは間に合わなくてもどうしても会ってお酒の一杯もご一緒したかったのでした。そしたら、輝子さんの最後2曲ほど聞くことができてよかった♪相変わらずの楽しいステージ!知性とセンスを感じさせる歌&エロエンタメ最高っした👍



そのあとはインジャゴ・JUNさんのFBアップのようなことで😆当日出演のコロ助さん・ミルコさんやそのお友達で飛び入り参加もしたアーティストのもえさん、そしてそのお友達、またお店のお客様の濃いキャラのひでさんと初めて会った人たちと楽しいひとときでした~って帰ろうと思ったら・・・。



ほんとこんな展開での朝までは数十年ぶり。お酒は強くないんだけど、やっぱ楽しんだね~♪😂若い人たちと楽しくエロくてエモい時間を一緒させてもらって、なんか自分元気だなぁ~って、そして元気もらったなぁ~って。



みんなで「出た~!」って🤣インジャゴのポロリ動画カラオケはぜひ行って体験してください。エロさとお笑いのダブルで、ほんともっこし&腹から笑ったわさ🤣

想定外の羽目外しもたまにはエエよね~(^^♪
Injago・Junさん、ありがとう♪🍀

2018年10月31日水曜日

おばあちゃん ~ 愛しのグランマ Blog Vol.37


たまに思い溢れて散文を書こうという気になります。「愛しのグランマ」~って、なんか曲のタイトルみたいになりましたね(^^; エッセイとしては普通だと思いますが、ブログにしてはちょっと文章量があるでしょうか。お時間があればお付き合いいただければと思います。

一般的に「おばあちゃん」は優しく穏やかなイメージがありますよね。中でも亡き私のおばあちゃんは自慢になりますけど、お茶目で愛溢れる抜群に素敵な女性でした。今でも思い出すだけで心が優しい気持ちでいっぱいになります。

私の子供の頃の話を少々。

我が家は特に決まった宗教を信仰するわけではなく、法事なども地方の仏式・和式のものでした。でも実家石川県に暮らす家族・親族の中で、ひとりだけ九州・鹿児島県種子島出身のおばあちゃんは、とても熱心なカトリック系のクリスチャンだったのです。

今でも思い出すのは教会で頭をベールで覆い、手を組みひざまずいて祈りを捧げる姿です。そして初孫の私は幼児洗礼を受け教会の隣のテレジア幼稚園へ通うことに。

スマホタップで画像アップ

そのおばあちゃんの夫、つまり私のおじいちゃんは人情派の立派な刑事でしたが、その息子たち(つまり私の父やその兄弟たち)は逆に立派な人といえる者ではなく、どちらかというと問題ばかりを起こす大人たちでした。

なので、おばあちゃんはいつも経済的にも彼らの尻拭いをしていた記憶があって…、当たり前かも知れないけれど、自分のことは後回しで息子たちや困っている人を助けることを優先していた人でした。

私の父はもう亡くなりましたが、お陰様で今のおかあさんや妹たちとはとても仲良くさせてもらって私はいま幸せです。ただ、子供の頃は父が離婚・再婚を数回繰り返していたので、穏やかな家庭ではありませんでした。

そんな中、自分はグレることはなかったけれど、たまに悪さをしたりして、父が怒って私に手をあげようとしたときも、おばあちゃんは盾になり「この子をぶつのなら、その前に私を殴りなさい」と父に言った場面は今も強烈に記憶に残っています。

さて、子供時代の話が長くなりましたけど、祖母の愛や考え方が歳を重ねた自分にも根付いていることも少しあるのかなと最近感じることも増えてきました。


◆ひとと自分への「許し」

例えば私は消費者として、商品に不具合があったり、また大事な場面でのサービスにプロとしての意識の低さを感じたときは、少し厳し目に対応することがあります。ましてや泣き寝入りすることはぜったいありません。

ただ、一方同じ感情(特に怒りなど)の位置に自分を置き続けることもありません。なぜなら自分もミスもするし、気づかずに人を不愉快にさせたり傷つけたりすることがあったと思うからです。

ネガティブな感情に心を置き続けることは何も生産的なことはないことをよく知っています。生きていると理不尽なことや自分の信条にあわないこと、また、納得できないことが少なからずありますから。

若いときは自分が正しいと思えば、条件反射的にディベートしたりしていた時期もあったと思いますが、今は相手の考え方や生き方、また環境を思い、たとえ納得できなくても、ひと呼吸おいて考え行動したり、人を許し・自分を許すことが以前に比べできるようになってきたように思います。(いうほど私は厳しい人間ではありませんが…(^^;)

その「ひと呼吸」おくとき、人はそれぞれいろんな方法やパターンがあるのではと最近感じるようになりました。私の場合は「大好きなおばあちゃんだったら、こんな場合なんて言うだろう・どう行動するだろうか」と考えています。

というのも、おばあちゃんの対応や行動・口動は一見おバカでお人よしに見えても、いつも最終的には愛に満ち溢れ、たくさんの人たちから感謝され愛されていたから。

さて、自分もあと数年で還暦を迎えますが、まだまだその域にはほど遠いと思っています。独り暮らしをしているせいもあってか、まず自分を守ってそのうえでできるかぎり誰かのために動ければという程度なのです。もっと精進しなくては…。

小学校入学式では母でなく
隣に祖母がいてくれて嬉しかった

なにか共感を求めるものでもないし、価値観を押し付けるつもりも毛頭ありません。ただ、ただ、僕の人生の一番身近にいた一番素敵な女性のおばあちゃんを思い出したのです。

思春期の頃、事情と僕のわがままもあっておばあちゃんと二人暮らしの時代も数年あったのですが、おばあちゃんはお酒も少々呑んだし、ほろ酔いになるとよく亡くなったおじいちゃんとのラブストーリーを聞かせてくれました。

おばあちゃんは何度も同じ話をするのですが、優しくまたロマンティックにそっと語るその物語り・そしてその時間が僕はほんとうに大好きでした(^^

身の回りで辛いことや理不尽なことがあっても、その話を聞くととても心が穏やかになって優しい気持ちに包まれたものです。

お茶目で可愛いく、またどこか神々しいところもあったおばあちゃん。僕はそんなおばあちゃんが大好きだし、男であっても人間として彼女のような人にいつかなれたらと思っています。

人生の最終電車に乗るような頃には一歩でも近づきたいと…。

書きながら何だか懐かしさと温もりを思い出して涙が溢れてきてしまいました…。思いつくまま書いてみたし、こんなわたくしごとの長文に最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございました m(__)m

2018年9月25日火曜日

親切と微笑み Blog Vol.36



今朝の出来事。この話には自分と見知らぬ若い女性二人が登場します。特に一人の女性と私の心の動きに注目して読んでもらえると面白いかもです🍀(オチは期待しないでね🤣

今日は一日新宿で仕事。朝8時頃、町田から新宿行きの小田急快速急行に乗車。普段ピークの移動は避けるのだけど、今日は通勤ラッシュに乗って気分も憂鬱。「満員だぁ・・・。」

最初の駅「新百合ヶ丘」で目の前の座ってた人が降車。「おっ、座れる!」まぁついてると思って座ったところからこのお話が始まります。

すると、となりの寝てた若い女性が5分もしないうちに、頭をもたれかけてきた。もたれかたが半端なく凄い・ヤバい😱

肩にもたれるどころではなく、もう私の首筋にピッタリくっつくくらいだ。悪い気はしないけど、あまりの大胆無防備さに驚いたわ!(この女性は後にまた登場します・・・脇役で^^)

さて、ここからがメインストーリー。目の前にまた20代半ばくらいの別の女性が窮屈そうに立っている。とっても素敵な女性だ。

よく見てみると背中にはディバッグ、そして足元にはビニール袋いっぱいのお土産。そして、片手で吊革を持ち、さらにもう片手には紙袋にお菓子らしきお土産がこれまたいっぱい。

たぶん、休日の旅行土産で、連休明けの今日職場へ持っていって配るんだろうなぁと想像しながら見ていたら、電車は揺れ満員状況が半端なくて、その片手の紙袋お土産袋が人と角のレールに挟まったりで、あぁ、紙の取っ手が破れそう・・・、さらに姿勢も辛そうだ・・・。

「どうぞ、私の膝の上に置いてもらっていいですよ」などと気軽に親切を言いたいところだけど、なぜか恥ずかしくて言葉がでない。

周りの人たちに仰々しい親切に映らないだろうか・・・などと勇気がでない。ん~、情けなくカッコ悪いなぁ俺・・・と思ったり。

しかし、今朝は悪シュウケンではない!意を決して、その女性の腕のあたりをツンとおして、その押した指で自分の膝の上を指差し、つかさず顔を上げ女性の目をみて視線を自分の膝へ落として、一言小声で「どうぞ」と言ってみた。

すると、その女性は私の気持ちと状況を一瞬で理解したようで、躊躇することなく即わたしの膝へお土産いっぱいの紙袋を預け「ありがとうございます。」と優しく微笑んだ。

小さな親切だけどアクションしてよかったと安堵しながら、周りをみてみるとほかの人たちは立ち寝してたりスマホしたりで案外気づかれてない様子で、仰々しい親切の押し売りにならなくてよかったと再び思った。

でも、なぜか恥ずかしくて、その女性とはしばらく目を合わせられず下を向いていた・・・そのとき!

となりの自分の首筋まで頭を持たれかけて爆睡している女性が、「がっくん」となった。普通そうなると、はたと我に返ってもとに姿勢に一度戻りますよね~。

しかし、なんとその女性は何を安心してるのか、がっくんしてもいっこうにもたれかかったまま爆睡して、しばらくしてまた「がっくん」を繰り返すのだわさ(^^;

何か自分もおかしくなってきてうつむきながらそっと微笑んでいたら、何やら視線を感じるんだよね~。見上げたら、荷物を預けたその女性も優しく微笑んでるだわ~。

そんなかんだでそこから新宿までの約20分ほどの間、私と目の前の女性はとなりが「がっくん」するたびに、二人で会話を交わすこともなく、ただ目を合わせて微笑みあう時間が続きました。

新宿に到着すると、となりの「爆睡がっくん首筋まで頭もたれ女」は何事もなかったようにそそくさと先に降車🤣

そして、前の女性は私からお土産の詰まった紙袋を受け取ると、最後に微笑みではなく満面の笑顔で「どうもありがとうございました~(^^♪」と丁寧に挨拶をして、お互い降車してそれぞれの道を行きました🍀

なんといったらいいか、躊躇しながらも思わぬ小さな親切を何とかすることができたことと、そしてそれがきっかけでちょっと愉快なひとときと心に爽やかなそよ風が吹いて、今日一日とってもいい気分で仕事ができましたょ~(^^♪

2018年8月24日金曜日

『彼は逝った』Blog Vol.35


もってあと2・3ヶ月。との情報が入ったのが2日前のこと。そこから容態急変。昨日早朝4時過ぎ、音楽活動再開して最初に出会った友達が空へと旅立った。

◆ 昨日の出来事

朝5時前、親しくさせてもらっていたミュージック・バーのオーナーさんから第一報が入った。Kさん(以下故人をKさんとさせていただきます)に心を寄せ、中でもお見舞いにもよく行っていた様子の私の知る友達5人とメッセのグループスレッドを作って連絡共有。

遠方より息子さんが駆け付けて何とかギリ間に合い看取ったらしいことは知ったけど、あまりに急だったので、私の自宅から比較的近いこともあって、何はともあれ仕事を休むことを決め病院へ駆けつけた。

最初にとても小さくなったKさんをみて、また息子さんをみて(Kさん同様アーティストであり、その歌声は何とも素晴らしく何度かご一緒したことがあったので)、やはりこみ上げてくるものがあった・・・。

思っていた以上に落ち着いていた息子さんに挨拶をして、Kさんの顔をみるとそれはそれは穏やかで優しい亡き顔。

少し触れてみる。もちろん冷たい。でも、何とも優しい表情に何か救われた気がした。

それからの半日余りの時間は、息子さんの隣にいていろいろ話したり、とにかく息子さんは悲しんでいる暇もないくらい、病院・親族・市役所・ケースワーカー・葬儀社への連絡・対応が忙しいのを隣で微力ながらご一緒させていただいた。

その間も事務書類受け取りなど手伝いながら、その後主治医の先生からの経過説明・急変の状況などの診断・説明も息子さんと一緒にお話を聞くことができた。最後、呼吸困難に至った経緯などは想像するにさぞかし痛く辛かったろうにと思いながら。

続いて、当日お見舞い予定だったお友達2人も悲しい知らせを聞いて駆け付け、病室で会うことができたのは幸いだった。それから1時間ほどで午前中に息子さんが奮闘して段取りした葬儀社が到着。霊安所でお線香をあげ車が見えなくなるまで見送った。



◆ Kさんと出会って

人生半ばを過ぎての友達、出会って2年足らずの付き合い。親友といえるものではなかったかも知れないし、好みのジャンルが違ったりすごく仲良しといえるほどでもなかったけど、音楽を愛する思いやお茶目な人柄など、おバカばかりいいながらも、憎めない男でした。

オープンマイクで一緒することが多く、まだ活動再開当初の自信がなくよく凹んでた私を誉め励ましてくれ、何度も書きますが一緒のおバカな話をして和ませてくれた男でした。

病院の面会などでお男同士で二人で、何度も過去の悪さ話を武勇伝のようにお互い話しているとあっという間に時間が過ぎて笑顔が絶えなかった。

肺癌ステージ4と宣告され、私に知らせてくれたのが昨年10月頃。いや9月だったか。それから、事情を知って、恐縮と思いながらも私の音楽活動1周年記念配信ライブに友情出演依頼をしたところ、「ぜひ参加したい」と二つ返事。

結局当日は容態が優れず、それでもラジオ出演的に電話で参加・出演してくれて、皆に闘病生活や思いを語ってくれたことを今も忘れない。

後で聞いたけど、2017年の年を越せないかも知れない様子だったことを思うと、昨日までよく頑張ったとつくづく思う。SNSで自らカミングアウトして、多くに人たちに辛い状況を見せながらも、一方勇気や優しさも与えてくれたと思う。



◆ 愛しきチャラさ

彼の口癖でした。確かにチャラかった。でも、一方とてもまじめで子供のように純心な人でもあったKさん。ライブやオープンマイクでは本人がまじめなMCをすると、すぐに恥ずかしさを隠すように、「チャラくなくて俺らしくないな~」などとよくいっていた。

そんなKさんは都内や遠方から仲間も集まるような「震災チャリティライブ」を企画し、当時何もできなかった彼自身の自己満足でやっているといいながら恥ずかしさを隠していた。ただチャラいだけの男がそれだけのことができるだろうか。

人生半ばを過ぎて気ごころに知れる友達などできないと思っていた。決して大の仲良しとなったわけではなかったけど、住まいが近くオープンマイクの帰りは一緒にバスに揺られながら、おバカな話ができる友が亡くなったことは素直に悲しい。

数日中にもう一度お別れに行くけれど、Kさんのお茶目でおバカでチャラい表情や言葉はほんとうに彼らしく、らしいのが一番いいなぁと感じさせてくれる男を忘れない。

心よりご冥福を祈ります。安らかに眠られよ。合掌





2018年8月11日土曜日

Blog Vol.34 自転車カスタマイズ


愛媛・松山ライブツアーから帰ってきたら、注文した部品が届いたと自転車屋さんから連絡が入った。アッパーハンドルほか部品一式。この自転車もマメに空気圧・オイルなどメンテしながら大切に乗っていつの間にかもう7~8年になるかな。

◆ ビッグスクーター乗り

自転車を買うまえ40半ばにして取得したバイク免許(正確にはビッグスクーター限定)で、400CCのスカイウェイブに乗っていた。当時高速道路をよく使って名古屋⇔横浜を時速135Kmで飛ばしてたことを思うと、エンジントラブルがきっかけだったけど、死ぬ前にバイクを止めてよかったかも知れないな~(^^;

◆ 愛車・ジョイコ

購入当時、ブリジストン「おしゃれで実用的な女性の為の自転車・JOSIS-WGN(ジョシスワゴン)」のキャッチフレーズだった自転車、オプションの前かごを付けて確か5~6万だったかな。ビッグスクーター同様自分は★車高の低さ★収納力にこだわりがあったので、女性仕様も迷わず買った気がする(^^



◆ラグジュアリー

バイクではなくビッグスクーターを好んで乗っていたのは、そのライディング・ポジション。踏ん反りかった感じがなんかラグジュアリーな感じがして好きやった。その雰囲気が忘れられず、この自転車も8年目にしてバーハンドルをアッパーハンドルに交換・カスタマイズ。(3段変速のギアケーブルや当然ブレーキケーブル・工賃含め全部で8千円。)

◆ 前と後ろの大きな籠

もともとこの自転車の一番のお気に入りはこの前後の籠。トイレットペーパー12ロール、ティッシュ5箱、ほか食材などいっぱい載せても、十分収まってかつこのやたら太いタイヤで安定感抜群だ。

◆ 気分が変われば

バーハンドルは前かがみになってスピード感があったのはよかった。でも超アッパーハンドルに変えたらとにかくゆったり走り、普段見過ごしてたお花や景色などの見え方が変わってなんだか楽しい♪ やたら鼻歌が自然と出て近所の人から声掛けされたり(^^♪



たかがハンドルひとつ、些細なことだけど、少し心が豊かになった気がする。さぁ、また鼻歌まじりでお買い物、そしてまた明日は楽器を積んでライブへ駅に向かおう!








2018年5月18日金曜日

Relationship with スオウさん・・・Blog Vol.33



昨年夏に数十年ぶりに再会し、また一緒に活動することになった周防さん(以下敬称略)。松山のお友達はもちろん、今というかいいおっさん😄になってからの彼のことは、かえって私より最近(ここ数年~10年ほど)のお友達や音楽仲間のみなさんの方がよく知っていることと思います。なので、今の自分からみての周防のことを過去も含めて書いてみますね♪

◆ 出会い・きっかけ

彼が早稲田の学生時代だったころ、すでに社会人で上京してきた私は、ブラックコンテンポラリーのバンド仲間を探していて、当時「プレイヤー」という雑誌に募集広告を出して応募してきたのが周防でした。その後バンド結成、20代をともに活発に活動してましたが、時の流れとともにそれぞればらばらに。

そして、今から20年ほど前に一度再会。その時にアレンジャーとして仕事をしていることを知りました。駆け出しだったんでしょうか?どうでしょう?でも石嶺聡子さんなどメジャーなアーティストのアレンジを既ににやっていた様子でした。

そのとき、FMラジオ・J-Waveで使うジングルに私の声を使うってことで声掛けしてくれて、彼の自宅スタジオで歌撮りをしたことも、もう懐かしい想い出になりましたね~。

◆ お茶目なおっちゃん

まぁ、一言でいうと見た目はKISSのジーン・シモンズ似?(ヘアスタイルね)のちょっと厳つい(こともないかな😊)けど、SNSのやりとりをみてもいたって可愛らしいお茶目なおっちゃんといった感じかな。家では猫ちゃんを何匹も可愛いがり、またカブトムシも育てたりと、なんともユニークな男です(^^

野球の話になったりすると、ちょっとガラの悪い関西弁みたいな松っちゃま弁がときどきでるけどそれもご愛敬(^^!人好き・人付き合いのいい熟年になってますねッ。

20年会っていない間に、結婚して都内に一軒家を構え可愛い娘さんに恵まれてと、再会したときはもうびっくりポンでしたけど、数少ない音楽を生業としている友人であることを、嬉しくまた誇らしく思ったりするわけでして😅🍀

◆ いい仕事

さて、再会してライブを2回やって、そして次は今6/24(世田谷)・8/4(松山)に向けて様々な準備でほぼ毎日のように連絡を取り合い、週一ペースで顔を合わせているよう。リハも頑張ってますね~。

そんな中、彼は本職のアレンジの仕事はもちろん、当バンドE.G.T.やほかのバンドものマネジメント、連絡、衣装など世話係、そして、音源づくり、からのぉ~デジタル譜面おこし、コーラスパート譜面・パート別練習用音源づくりと、何から何までほんとによくやっておりやす❗️

アレンジャーという仕事柄、デジタルツールを使いこなすのは得意だとはいえ、決して楽な作業ではないはず。また、それらはとても配慮が行き届き、至りつくせりというか、私だけではなく、きっと関わっている仲間皆が感心・感謝していることでっしゃろぅ🍀

◆ ベースマン

あっ、プレイヤーとしてはベースマンなのでした(^^;なんかバンドマスターやマネージャー、そしてサウンドの屋台骨的な部分ばかりクローズアップしたけど。それ全部大変なことなんだけどね。ベースマンとしてのリズムの安定感は、当然かも知れないけど、若い頃と比べて、とても安心できるものになったのは歌い手として凄く感じるわさ。

◆ いざサウンド・歌で

まぁ、そんな彼の様子を見てるとこっちも力が入ります。私も若かりし30年前一緒にバンドをやっていた頃よりも、今の方がずっと練習コミットしてるようなことで(^^!私の音楽の中でもゴスペルな部分に特に共感してくれている周防の頑張りに応えるためにも、入魂で歌っていきまっせ~,Yea ❣

リンク ⇒ Live in Tokyo

リンク ⇒ Live in Matsuyama






2018年5月5日土曜日

子供たちへの愛と自尊心に満ちた歌詞



Greatest Love Of All

I believe the children are our are future
Teach them well and let them lead the way
Show them all the beauty they possess inside
Give them a sense of pride to make it easier

子供たちこそが未来だと信じてる
彼らを教え導きましょう
自らが持つ美しさを表現できるように
自分自身に誇りを持てるように

Let the children's laughter remind us how we used to be
Everybody searching for a hero
People need someone to look up to
I never found anyone who fulfill my needs

子供たちの笑い声が かっての私たちを思い出させる
誰もがヒーローを探してた
尊敬できる人が必要なの
私には見つけることはできなかったけど


A lonely place to be
So I learned to depend on me

孤独な場所で
私は自分だけを頼りにする事を学んだ

I decided long ago, never to walk in anyone's shadows
If I fail, if I succeed
At least I'll live as I believe
No matter what they take from me
They can't take away my dignity

ずっと前に決めた 決して誰かのマネはしないと
失敗しても 成功しても
自分の信じるように生きていく
何かを奪われようと構わない
この尊厳を奪うことなどできないのだから

Because the greatest love of all
Is happening to me
I found the greatest love of all
Inside of me
The greatest love of all
Is easy to achieve
Learning to love yourself
It is the greatest love of all

すべてを包み込む偉大な愛
私に訪れた
この素晴らしい愛を
私自身にみつけた
すべてを包み込み偉大な愛
成し遂げるのは簡単
あなた自身で学べばいい
すべてを包み込む偉大な愛を

2018年4月20日金曜日

Just Sing ~ 思い描くように ~



普段SNSなどでは主義主張などをあまり述べるタイプではありませんけど、今回「歌への思い」というテーマで少し(そこそこ長文(^^;)書いてみようと思います。今日職場からランニングしながらの帰り道、いろいろと思いが溢れ出てきたので少し整理しながら・・・。

まず、今はお酒もあまり飲めず盛り上げ下手な私は、1年数ヶ月前にエレガットを買ったことをきっかけにスタイルを変えて、弾き語りうたびととして歌い始めました。

願いはただ「自分の思い描いたように歌っていきたい」ただそれだけなんです。もちろんたくさんの人たちに聞いてもらいたいし、仲間や聴いてくださる人たちと素敵な時間や音楽を分かち合いたい。言葉にすれば「愛や勇気、また生きる喜び」が少しでも伝わりまた感じてもらえればそんな幸せで嬉しいことはありません。

でも、よく著名なアーティストやスポーツ選手が「私の歌で(プレーで)子供たちや被災者のみなさんに夢や勇気・元気を与えたい」などの言葉を聞くことがありますけど、大きな影響力のある人ならまだしも、私は恐れ多くてそんなこと考えたことすらありません。

というかそもそも夢や勇気・元気などというものは、感じ取ったり自分の中から湧き上がってくるもので、決して人から与えらえるものではないのではないでしょうか。だから誰かに憧れたりすることはとっても素敵なエネルギーとなると思っています。

さて、「自分の思い描くように歌えるように」にはいっぱい練習しなくちゃなりません。まだまだイメージと自分の歌声には大きなギャップがあります。いますべての行動や判断はこの物差しで計り、今またそこだけにフォーカスしようとしている今日この頃。

もっと若いときに、もっともっとコミットしてればという反省や思いはありながらも、今またこんなにのめり込めることも幸せなのかなと。

◆ 仕事と練習

1日24時間、眠っている以外は全て歌・音楽ってできれば幸せですが、なかなかそうはいきませんよね。歌の練習の時間を作り出すため、仕事は短時間(といっても9時~18時)に集中してこなすため、みなさんもそうであるようにストレスから夜相当疲れた状態に。なので歌練は夜はもちろんですけど、最近4時半起き(今は歳のせいも(^^;)の朝がいい感じ♪

◆ 身体づくりや食事

最近までアスリートの一面がありながらも、もともと私はあまり身体が丈夫な方ではありませんでした。今でも成人喘息もあってほんとたまにですが発作を起こします(実は3日前の夜も)。5年ほど前の発作では死ぬんじゃないかと思ったほどでした。なので、いつまでも元気で歌うためにまず健康でいられるようにと、身体にいいことだけを選んでいこうと決心して、やれる範囲で食事の工夫や運動を続けてます。

◆ ヴォイストレーニング

今とっても悩ましいのはこれです。自分の声らしきものを最近再発見したもののまだまだイメージした声が出ていません。これについてはまた改めて書いてみようと思います。

◆ お酒

お酒は人と呑むのは好き。家で1人では晩酌はしません。なので1ヶ月以上も呑まないことも。若いときはいっぱい呑めました。でも、今は2杯も呑めばすごく酔っ払い、3杯も呑むともう完璧二日酔い。で、呑んで歌うと思うように歌えず凹んでしまうので、歌う前には呑めないんですよね・・・。

◆ んなわけで

音楽や歌の楽しみ方は人それぞれ。またアーティストとしての活動スタンスもまたしかり。頻繁にライブ活動をしてたくさんの仲間とわいわいやっている様子を観たりするとちょっと羨ましいと思ったり。地域で長く続きてきた心の余裕がそうさせるのでしょうか、音楽が生活の一部のようで皆さん素敵だなぁと感じます。

お陰様で自分も活動再開1年余り。仲間も増えライブも少なからずやれるようになってきましたけど、私自身まだそんな楽しみ方はあまりできていない感じ・・。楽しんでるようで、ほんとはステージが終わったら、すぐにでも飛んで帰ってまた「自分が思い描くように歌う」ためにもっともっと練習したくて。

楽じゃないけど、でもいま日々練習する時間がとっても楽しくて。思い描くイメージに近づくために、まず自分なりにできることは精一杯やったぞというものを、この歳になってもなお積み重ねたいわけでごじゃりまする。

まぁ、こんな世迷言をここまで読んでくださった方々ありがとうございますm(__)m いくつになっても迷い探しながら、でも眉毛上げて胸張って「静かだけど元気」をモットーに、一歩ずつ前進していきますので、シュウケンの歌が少しでもいいかなって思ってもらえるなら、どうぞ見守ってやってくださいなっ(^^♪

2018年3月17日土曜日

「続けるということ」Blog Vo.30


スクラップ&ビルドの考え方は好きだ。何でもトライしてよかったら続け、よくないと感じればさっさと止めればいい。

ただ、いいと思ったことを地道に続けることは案外難しいことを歳を重ねるほど実感する。自分自身への言い訳がうまくなるからだ。


◆ 以前失敗した禁煙

禁煙当初「禁煙します!」とまずは近い職場仲間に宣言して、もう3日目にはまた吸っていました。まずはタバコを買わないこと。ってやってみましたが、当時仕事帰りに職場仲間と週に2回は呑みにいく習慣があって、もうお酒を飲むとすぐもらいタバコを数本。翌日に1箱買ってお返しするといったナンセンスなことをしてました。

最後にたどり着いた方法は、胸ポケットに封を切ったタバコを入れておき、いつでもすぐ吸える状態にして、どれだけ禁煙を続けられるかにトライ。「半日できた」よかった、「3日できた」よかった「一週間」、「一ヶ月」そして今10数年に至ります。ちっちゃな「できた」の継続と喜びがいつしか禁断症状に勝っていたのでした。いつでも吸えたその最後の1箱のタバコは自分の胸ポケットで最後にはもうボロボロになってましたけど(^^;

◆ ランニング通勤

宣言して年明けからスタート、現在も何とか続けています。ただ平日夜にリハなどが入ると、その日は職場から電車で移動となるため、ランニングはお休み。そんなことや雨が続いたりすると、翌日走るとこれがかなり辛い。なんかいいわけして止めたくなる。「花粉が多いからピークが過ぎてから再開すれば…」とか。ただ、もしそうしたらきっと再開しないだろうと思う。だから徹底的に花粉対策をして何とかまた走り続けてる。

◆ 食生活

これもときどき面倒になってもういいや~って思う時がある。忙しいとなおさらだ。10数年前はまさにその状態で今より20Kgほど大きかった(^^。タンパク質・糖質・脂質などの栄養バランス、ビタミン、カルシウム・・、そしてカロリー計算。体重計に乗ることも面倒になったり。でも「身体は食べたものでできている」そして『健康な身体であれば好きな音楽や歌をいつまでもずっと続けられる』って思ってまたやっぱりやろうと思い立つ。この繰り返し。

◆ 小さな喜びを

強い意志や目指すところへの強い思いがあれば何でも続けられるものだと知っていても、自分も弱い人間なのでついさぼりたくなったり止めたくなる。そんなときはちょっとした工夫で楽しく続けられないか、嬉しい気持ちになれないかって考えてみる。そしてまたやってみる。うまくいかなかったり、うまくいったりする。

ひとり避難訓練(^^;、オリジナル・コアリズムダンス、マイザップ(おりじなる一人ライザップ)などなどけっこう見られたら笑えることなどいろいろ考え試してやってみたし、実は今もやったりしてる(^^。

どんな小さなことでも、続けていればきっと大きな成果となって返ってくる。みんな知っている。悪いといわれる習慣は続けることはなぜか簡単。でも、心と身体にいい習慣や目標を向かって続けることは難しい。大人の生活にはいろいろとしがらみもあるから。

でも、ほんとに欲しいもの、したい生活、なりたい自分などなどにフォーカスすればきっと続けられる。そう信じてまた自分に言い聞かせて何とか また Keep On !

自分の声はこもる特性がある。でも地味に歌練をしていたら、たまにすごくぬけのいい声が出たり・いつも以上に高音が伸びたりするとちょっと嬉しくなる。

一見ストイックに見えることでも楽しくまた小さな喜びを感じられるように工夫することを忘れないようにしたい。たとえいったん中断しても再開すればいい。まさに今の音楽活動もそう。楽しいけれど楽じゃないこともそこそこある。続けていこう。その先にはさらなる喜びがきっとあるはず♪

2018年3月9日金曜日

夢か現(うつつ)かファンタジー


不思議な記憶のお話。たぶん小学校3年生の頃。

一度だけプチ家出をしたことがありまして(っていっても一晩だけ)。親の喧嘩している声を聞きたくなかったから。(といっても重く暗いお話ではありません(^^;)

で、夜暗くなってからだったと思うから20時か21時ごろだろうか。行ったところは2ヶ所。普段友達と遊んでいる公民館もある公園。そして、近所の原っぱ。

公園ではずっと空を見上げていた。ここからの記憶が夢か現かといった感じなのだが…。夜空が花火の後の余韻のように、星たちがとてもカラフルな帯を弾いて輝き、それはもう自分の視界全体にとても大きく拡がっていたのでした。

とにかく綺麗で大きくてずっと見とれてました。あんなにカラフルな夜空は現実にはないと今思うんだけど、幻でも見ていたんだろうか…?今思えば肉眼で星雲が見れるはずもないし、視界全体に広がっているはずもない。こればかりは言葉で形容しがたいほど美しい夜空というより、なにか色が爆発しているような鮮明な夜空だった。

でもはっきりと記憶に残っているんですね…、あれは何だったんだろう?
よくパップル望遠鏡が捉えたという星雲の鮮明な画像が現代では見るころができるでしょう。あんなもんじゃなくて、まぁクリアでカラフルで爆発してる感じ。

もしかして幼い自分の目はほんとうに何かを捉えていたんだろうか…、それとも想像が織り交ざって記憶として残っているのか…ファンタスティック&ミステリーです。

そうこうしているうちに、なぜか誰もいかないけれど、大好きな女の子の家がある近くの原っぱに寝そべってまた夜空を見上げていた。ごぞごそ何かの音が聞こえてきた。なぜかその時、これはモグラが巣穴を移動してるんだと確信してたのもよく覚えている。変ですね~、不思議ですね…(^^;

そうこうしてたぶん深夜の2時か3時ごろに、そぉーっと家に帰ったら、親は眠っていて大騒ぎにも何にもならなくて、独りだけの小さな冒険・ファンタジーだったのでした(^^。

その数年前に祖父が亡くなってお葬式でいろんなことを体験したこともあってか、そのころから自分はどこからきてどこへ行くのか、死ぬって何?自分はなんで生きてるの?などとときどき思うようになったのでした。その夜も不思議な夜空を観ながらそんな事を思っていたことも覚えています。

例によって、これまた散文(エッセイ)でとりとめもないわけだけど、ひとつ言えるのは脈略のないこの記憶を思い出すとき、とてもいい気分になるし何か宇宙と繋がっている感じがするんですよね~。

なぜ今夜このことをまた思い出したかもわからないけど。眠る前に書いとこってことで。長々とここまで読んでくださった方ありがとうでしたm(__)m
おやすみなさい。

2018年2月26日月曜日

センス・センシティブ Blog Vol.28

こんにちは!シュウケンです♪
シングライクトーキングのヴォーカルとしても知られる佐藤竹善さん。Facebook のお友達の中にファンも少なくないでしょう。途中から最後ちょっとドキっとするかも知れませんが、まずはこのクリップをぜひご覧ください。



ご覧になって何を感じたでしょうか?

「センス」Wikipediaでは「英語で五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。才能と似た意味である」と。他では「 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。」とか「判断力。思慮。良識。」ともあります。

私は多くの日本人ミュージシャン、シンガーの中でも特に佐藤竹善さんは最もセンシティブなアーティストの一人だと思っています。自身の曲も言うまでもなく、また彼が歌うカバーは歌唱力はもちろん、ほんとうにいつも魅了されまた刺激を受けます。

もちろん、クリップを作ったのはブレインだと思いますが、彼の意図やセンスはきっと反映されていることと思います。

「Spirit of love」は 彼の代表曲のひとつ。武豊と佐野優子の結婚式でのお祝い披露で黒人コーラス隊と歌ったヴァージョンはゴスペルを感じました。素晴らしいカバーは数多く…、クラプトンの「Change The World」、玉置浩二の「ロマン」、ほか「Desperado」、「木蘭の涙」、「Ya Ya(あの時代を忘れない)」そして、私・Shukenもカバーした「生まれ来る子供たちのために」・・・などなどあげればきりがないほど。

「センス」を言葉にすること自体がもしかしてナンセンスなのかも知れませんね。声質も違えばもちろんキャリアも違う同世代の憧れる日本人アーティスト「佐藤竹善」。人生半ばを過ぎ歳を重ねてまた歌い始めた自分自身も、あきらめることなくセンスを見つめ少しでも磨いていきたいものです。

2018年2月18日日曜日

ゴスペルを再び歌う思い・喜び Blog Vol.27



こんにちは!シュウケンです(^^! ちょっとこの音源をお聴きいただきながらでも、お読みいただけると幸いでございますm(__)m


     " The Center of my joy "   

若い頃のステジオ録音です。カセットテープからデジタル変換したので音質はノイズがあったりまたコーラスも素人を集めて練習を重ねたもので、26か27歳の私のヴォーカルも決して上手とはいえませんが、パッションは伝わるテイクとして自分でも大切に思っているものです。

さて、私は20代前半の頃、地元石川は金沢でバンドのヴォーカルとして活動、主にR&Bやロック・ポップスを歌っていました。地方の音楽シーンでもまずまず活躍しておりましたが、時を重ねるにつれブラコンや特にゴスペルに魅せられるようになり、残念ながら地方には同じ思いの仲間を見つけることができず、同世代が大学を卒業してUターン就職で戻ってきて数年が経つ頃、25歳頃にゴスペルを歌いたくて上京してきました。

東京にきて間もない頃にソウルバンドをつくり、100名規模くらいのライブでダンサブルなR&Bをやったりしましたが、何か違う気がして、やはりブラコンやゴスペルへの思いが強まる中、新たに仲間を募集して始めたバンドのベーシストが長い時を超えて再び今回また一緒に活動することとなった周防氏です。(当時早稲田大学学生、そして今はプロのアレンジャー)

ゴスペル・Gospel の由来は God Spell(福音)やGood Spell(良い知らせ)とのことですが、そのジャンルは幅広いですね。中でも私はソウルなどブラックミュージックが好きだったことからも、いわゆるブラック・ゴスペルというものに傾倒してきました。歌っていると理由もわからず涙が溢れたり、感謝の気持ちでいっぱいになったり。そんな思いは今も忘れることはありません。

ずっと遠ざかったいたその感覚が今また蘇ってきています。昨年夏→秋旧友との再会から懐かしのセレモニー的に部分当時のバンド名「Shuken & Walnuts」 として、ブラックミュージックをメインのライブから5ヶ月。そして、今回腕利き売れっ子のピアニスト・アキちゃんを加えてE.G.T.(エターナル・グローリー・トーキョー)と名づけた7名のバンド・ユニットを立ち上げ、今度はゴスペルを軸にブラコンやポップスも交えながら活動してきます。

●Shuken:Vo. ●Hiro:Vo.
●Suoh:Ba.  ●Taro:Gt. ●Akico:Pf.Kb.
●Yuri:Sax.Fl. Bob:Dr.

E.G.T.でのライブはできても年に2回か3回ほどになるかとは思いますが、時にユニークに時にベタで直球で大マジに、愛と勇気と生きる喜びを感じ届けていきたいと思います。Eternal Glory Tokyo どうぞよろしくお願いします🙇また弾き語りのうたびと・シュウケンの方も引き続きこれからも活動してきますょ(^^♪

ここまで読んでくださりありがとうございました🙇私個人は少なくても準備に2ヶ月はかかりきりとなって、3月はこのE.G.T.ライブ1本にフォーカスして心身ともにブラッシュアップしております。ライブでは胸いっぱいのLOVEでお応えしたいと思います🍀

🔶3月・4月シュウケン出演予定

◆3/21(Wed.春分の日)E.G.T Live in GG
・ゴキゲンヤ・ガレージ(世田谷)
・18:00 Open 19:00 Start ¥2,000-(1D付)
・with Geru&Desperates  純愛ロケット

◆4/7(Sat.)  3Men with a Little Lady
・ゴキゲンヤ・ガレージ(世田谷)
・18:00 Open 19:00 Start ¥1,500- (1D付)
・with 大島ヘブン・タロー・愛瑠夢

◆4/15(Sun.)
・さきやま・こはPresents チャリティ Live
・あずましぃ(相模大野)
・with マナカマサ ほか

◆4/22(Sun.) Acoustic Night
・ミユージカンテ・あまね(東京北区十条)
・14:00~ ¥500(Drink 別)
・with ケッペキーズ ほか